昔からね、しのにはひとつクセがあって。
気づけば漢文みたいな文章に寄ってしまうの。
…つまり、漢字をつい多く使ってしまう癖のこと。
“いただく”と“頂く”のように
意味が変わってしまう言葉は別として、
書けるものはつい漢字で書きたくなる。
“美しい”ひとつ取っても
端麗、麗美、秀麗、艶美……
熟語のわずかなニュアンスの違いが
しのにとってはとても便利で、
心の温度や景色を正確に拾ってくれるから。
でもね、
そんな“漢字寄りのしの”に
新しい視点をくれたのが、
ある作家さんのエッセイだったの。
その人の言葉って、どうしてこんなに
やわらかくて温かいんだろう?
そう考えた時、はっとしたの。
ひらがなを、敢えて選んでいるからなんだって。
漢字やカタカナには少しだけ冷たさがあるの。
まっすぐで、直線的で、鋭利で。
対してひらがなは丸くて、
息遣いが近く感じられるほどやさしい。
ひらがなで書かれた言葉は
読む速度がほんの少しだけゆっくりになる。
その“間”が、読み手に余韻を残すんだと思う。
エッセイにあった
『うしろ姿』『ほんとに』『ひとをたすける』
こういう言葉のあたたかさって、
ひらがなだからこそ宿る温度なんだよね。
もちろん、多用すると読みにくくなるけれど…
気持ちを強調したい時、
硬い言葉をやわらげたい時、
こころのスピードを少し落としたい時には
ひらがながいちばんしっくりくる。
文章って、ほんの少しの違いで
伝わる空気がまったく変わる。
しのはこれからもできるだけ
自分のこころと差のない言葉を
ていねいに選んでいきたいなと思うの。
何を書こうとしてたんだっけ?
…なんて思うような、
とりとめのない夜の独り言☺️🍃