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1月24日
昨日の夜、ある人との会話の中で、私がずっと思ってきたことを少しだけ言葉にしました。
この日記でも以前お伝えした…夏の暑さは冬まで取っておいて、冬の寒さは夏まで取っておけたらいいのに…ということ。
そうすることで、無理やりエネルギーを使って地球を痛めつけながら快適な空間を作るのではなく、自然をそのまま活かしながら、暑さで倒れる人も、寒さに震える人もいない世界に近づけるんじゃないかなって。
「人が思いつくことは、いつか形になる」
私は、そう信じています。
けれど、その想いに返ってきた言葉は、少しだけ現実的で、少しだけ厳しいものでした。
どこでもドアも、タイムマシンも、人が何十年も前に思いついている。でも、今も存在していない。
亡くなった人と話すことだってできない。
だから、思いついたことが必ず形になるとは限らない。
そんな言葉でした。
それ以上、私は何も言いませんでした。
考え方は人それぞれでいいと思うし、無理に分かってもらう必要もないと思ったからです。
ただ、心の奥で、少しだけ、悲しくなりました。
私が言いたかったのは、「今すぐそうなってほしい」という話ではありません。
たとえ自分が生きていなくても、遠い未来を生きる人たちが、少しでも安全で、心地よく暮らせたらいいな、ということ。
そんな未来は、ある日突然、完成するものじゃない。
たくさんの人の想像と、試行錯誤と、失敗と、努力が何十年、何百年と積み重なって、ようやく形になるものだと思うんです。
今、私たちが当たり前のように使っているものも、最初から当たり前だったわけじゃありません。
落ちたら命に関わるほど高い建物も、巨人が作ったわけではありません。
人が設計して、材料を集めて、たくさんの機械を動かして、少しずつ組み上げてきたものです。
何十階という高さを、階段ではなくエレベーターで移動できるのも、人の「こうなったらいいな」という発想と、それを形にしようとした力があったから。
スマートフォンだってそうです。
離れた場所にいる人と話せたらいいな、そんな想いから糸電話が生まれ、距離や場所の制限を超えるために通信機器が進化し、携帯電話になり、スマートフォンになりました。
今では、言葉の通じない人同士でも、翻訳機能を使って会話ができます。
これは、ひらめいてすぐに完成したものではありません。
何世代もの人の「できるかもしれない」という挑戦が、少しずつ積み重なった結果です。
実は、私が話した「夏の暑さをためて冬に使う、冬の冷たさをためて夏に使う」という考え方も、まったくの空想ではありません。
たとえば、国立研究開発法人 産業技術総合研究所 やNEDO などでは、季節ごとの熱エネルギーを蓄えて、別の季節に活用する技術…いわゆる季節間蓄熱の研究が進められています。
まだ広く一般に使われる段階ではないけれど、
「できたらいいな」という誰かの想像が、ちゃんと研究として、未来につながっている。
きっと、自分が生きている間に、一年中どこでも快適な世界が完成するのは難しいかもしれません。
もちろん、期待はしていますけれど、そんな簡単な話ではないとも思っています。
それでも、想像することをやめない人がいて、挑戦する人がいて、応援する人がいる。
資金がなくても、技術がなくても、「それ、素敵だね」と思う気持ちは持てるはず。
もし、いつかそれが当たり前の世界になったとき、かつて否定していた人も、何食わぬ顔でその快適さの中にいるのかもしれません。
そう考えると少し複雑です。
私はこれからも、「こうなったらいいな」と思う気持ちを、大切にしていたいです。
今日の寒い夜も、あたたかい部屋で過ごせることに感謝しながら、この当たり前が、たくさんの人の想いの上に成り立っていることを、忘れずにいたいなと思います。
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