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8月25日
昨日の午前中、簡潔にまとめた報告書📄
改めて、他の人が書いた報告書との違いを確認してみることにしました。
これまでも目を通してはいたのですが、
「なんでみんな、こんなに長いんだろう?」
と思う程度で、そこまで深く考えたことはありませんでした。
私はもともと「簡潔に」をモットーにしています。
それにしても、文章量が違いすぎる。
改めて見比べてみると、その違いがはっきり分かりました。
多くの人の報告書には、
「ここを頑張りました。」
「この辺りに苦戦しました。」
といった、そこに至るまでの過程や自分の気持ちが書かれていました。
きっと、そういうことを伝えるのも大切なのだと思います。
でも、私の報告書にはそれがありません。
「じゃあ、なんで私はこうなったんだろう?」
そう考えたとき、一人の女性の顔が頭に浮かびました。
以前、この日記にも尊敬できる人として書いたことがある、仕事のできる上司です。
今ではさらに上の立場へ行かれ、もう手の届かない存在。
おそらく、今後一緒に仕事をすることはないと思います。
そんな上司と一緒に仕事をしていた頃、私はある仕事に長い時間をかけたものの、最終的に成約につながらなかったことがありました。
当時の私は、やる気に満ちあふれていました。
確かに成約にはつながらなかった。
それでも自分の中で得られたものはありましたし、お客さまと話を重ねる中で、少しずつお互いの考えにズレがあることを感じ、
「これ以上は難しいかもしれない。」
そう判断して手を引きました。
結果的には、それでよかったのだと今でも思っています。
でも、そのとき上司から言われた言葉は違いました。
「成約につながらなければ、仕事としてはゼロ。」
さらに、私が成約につなげようとして費やした時間、その間の通常業務は周りのみんながカバーしてくれている。
会社から見れば、その時間は本来の業務をしていないのだから、評価としてはむしろマイナスになる。
そんな内容でした。
もちろん、周りの方がカバーしてくださっていることは私も分かっていました。
通常業務を離れ、その仕事に専念させてもらえることへの感謝も、きちんと言葉にして伝えていました。
それでも、上司が見ていたのは「結果」だけでした。
そして当時の会社も、かなりの成果主義。
途中でどれだけ頑張ったのか。
どれだけ時間をかけたのか。
そこに至るまでに何をしたのか。
そういったことよりも、最終的にどんな結果になったのかが評価される時代でした。
今の私の報告書の原点は、おそらくそこにあるのだと思います。
どれだけ、
「こんなに頑張りました。」
「ここまで努力しました。」
と伝えたところで、会社が評価するのは結果。
それなら、途中の苦労や自分の気持ちは報告書には必要ない。
報告書は感想文ではありません。
いつ、どこで、誰が、どのような経緯で、最終的にどうなったのか。
事実を事実として伝えればいい。
いつの間にか、そんな考え方が自分の中に根づいていました。
ところが、時代は少しずつ変わりました。
今は結果だけではなく、そこにつながるまでの過程も評価しようという考え方に変わり始めています。
それは頭では分かっています。
でも、なかなか柔軟になれない私がいます。
過去の私は、
「これだけ努力したよ。」
「こんなに頑張ったよ。」
そういうことも伝えていました。
でも、
「結果がゼロなら、仕事としてはゼロ。」
それどころか、そこに費やした時間はマイナスだと言われた。
悔しい思いをしながら、それまでの自分の考え方を捨て、その時代に求められていたものへと自分なりにアップデートしました。
だからこそ今、
「時代が変わったから、今度は過程も大切にしてね。」
と言われても、私はそんなに器用には切り替えられません。
何の思い入れもなく身につけた考え方なら、
「今はそういう時代なんだ。」
と変えられたのかもしれません。
でも、悔しい思いをしながら変えた考え方は、そう簡単に戻すことはできません。
だから今回の報告書も、かなり簡潔に仕上がりました。
そして、おそらくこれから先も、私の報告書は今と変わらないんだろうなぁと思います。
時代に合わせるって、難しいですね。
それまで「正しい」とされていたことが、いつの間にかそうではなくなる。
そして、その「正しさ」に合わせるために一度自分を変えた人ほど、次の変化には簡単についていけないのかもしれません。
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